ニックネーム
- 潤さん
- Jさん
肩書き
- 工事部長
夢は手を伸ばした
1ミリ先に有る!
“人生いろいろ”
1975年5月26日、草木も眠る夜に三鷹市で生まれ、深大寺で産湯を使い、姓は高橋、名は潤と申します。生まれつきの天然パーマで学生の頃はよくイジられていました。小学校では水泳部に入り、中学では陸上部でした(ほぼ帰宅部でした笑)高校はなぜか商業高校に入りました!女子が多いから?高校時代は3B(バイト・バンド・バイク)に明け暮れました。誰かの思いつきで夜中に10人位で湘南までバイクを飛ばし、パンツ一丁で泳いだり、2チームに分かれてロケット花火を打ち合ったり。
そのまま学校に行き、授業中寝て夕方からバイトしてました!青春ですねぇ~ 高3になり就職活動をする中で誰もが出来る事ではない、手に職をつけた方がいいと思うようになり、自動車の板金塗装工場に就職しました。今でも塗装のスキルはシーリング業でも役にたつこともあります。しかし残業が多く2年で辞め、友人に誘われシール職人になりました。
“別れ、出会い”
友人に誘われたシール会社に勤めていたとき応援を要請したら中澤社長が来てくれました。最初の印象は身なりも言動もそうとう変った人だなぁ~と思いました。当時はまだPさんも雇われの身でしたがそうそうに独立し、Pシールに自分がたまにバイトに行く位になりました。当時、自分の会社は友人も辞め社長と僕の2人になってしまい仕事をあまりもらえませんでした。
そのころからPさんに「うちに来い」と声を掛けてもらっていたのですが僕が当時の会社を辞めると言うと、社長のお母さんに泣きつかれたり、特大エビフライ2本で釣られたりしましたが1年位かかって解ってもらい、辞めさせてもらい、やっとの思いでPシールに入社する事ができました。
“0から1”
自分は主に新築現場を担当させてもらっています。更地だった所に綺麗な建物が建つというのは感慨深いものがありますし、やりがいを感じています。ゼネコンさんとの付き合いも長いので新入社員でだった監督さんが所長になってPシールを使ってくれる場面も増え、辛く、きつい事も有りましたが長くやってきて良かったと感謝しています。
他業種(左官屋・塗装屋・タイル屋・その他)さんとも気心が知れているので職人同士が仲がいいというのもうれしいかぎりです!一般的に建築業種で濡れもの(塗装・左官・シーリング・他にも有ると思いますが)は難しいと言われますが0から1を創るという意味で面白いですし、シール屋さんになれてラッキーだと思っています。
“せつないサザエさん”
日曜日は朝からふとんを干します!車の上を拭いてそこでバンバン叩きます!週に一度の事なので結構大変です。シーツ、枕カバー、毛布を洗って外に干します。そこから部屋の掃除です.乾いたぞうきんで埃をとって最後に濡れたぞうきんで仕上げます。ここまででお昼位なので近くの定食屋に行きます。ビールと冷奴を頼み(昼間っからすみません笑)スポーツ新聞で競馬予想します。ビビリーなのでメインレースを200円しか買いません!しかも複勝(汗)定食屋から帰って来たらふとんをしまってゴロゴロしてます。せっかく買った競馬も寝過ごして観ない事もよくあります(笑)そして笑点観て、サザエさんとじゃんけんします。